大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和50年(ワ)248号 判決

原告

小館順一

右訴訟代理人

山中善夫

被告

星野浩二

右訴訟代理人

廣谷隆男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金六〇〇万円と、内金五五〇万円に対する昭和四五年一月一日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和四四年一一月二〇日午前七時一〇分頃、日本国有鉄道岩見沢駅、上幌駅間の線路上で、信号用高圧線張替工事に従事中高圧線に接触感電により右上腕前腕・上腕手および両大腿に電撃傷を負つた。

2  原告は右受傷後直ちに岩見沢市内において病院を設けている医師たる被告に対して右治療入院を求め、ここに、原、被告の間において、被告が原告の右傷害につき当時の医学水準に依拠した的確な診断を下し適切な治療を行ない、かつその実態を告知すべく、原告がその対価を支払うことを内容とする診療契約が結ばれた。〈以下、事実省略〉

理由

一(原告の電撃傷受傷と診療契約について)

請求原因1、2の各事実については当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

原告は訴外協信電気株式会社に電工として雇用されていたものであるが、その業務として前示日時場所において日本国有鉄道の信号用高圧線張替工事に従事し、電流を止めた高圧電線を右手掌で握りしめて作業中、何人かが誤つてこれに六六〇〇ボルトの電流を通じたため、その高圧電流が右手から原告の体中に入り両大腿部から抜け、その感電により電撃傷を負つたものである。原告が被告の病院に入院した当時の病状は、傷の外観は、右手四指が高圧電線を握りしめたことを示すように根元から深くやけ込み、右腕全体にわたり血管に添つて皮膚上に斑点を生じ、いわゆる電紋がみられ、右腕の前腕・肘・脇の下に黒くこげた個所があり、両大腿の前部に直径一〇センチメートルに及ぶ黒く焼けた凹傷が認められるというもので、全身状態は、意識はあつたが、朦朧としており全身ほとんど動くことはできず、電撃傷によるシヨツク状態を呈し、右腕は右手指がかすかに、又、手首・肘が少し動く程度で、右腕に激痛を訴え、衰弱して生命の危険も感じられる状態であつた。

二(被告の診療と病状の経過)

1  前記各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  被告は電撃傷で入院して来た原告に対し、まず原告のシヨツク状態を和げる治療として強心剤、ブドウ糖アミノ酸、血液代用の液を注射し、患部に対し化膿防止の為に抗生物質の含まれている軟膏及び湿布薬を塗布し、そして、以降は右のほか適宜、回復力増強の為賦活剤(インタセリン)を注射し、激痛に対しては鎮痛剤麻薬を注射し、化膿防止の為抗生物質(ペニシリン、クロマイ、マトロマイシン)を注射又は径口的に投与し、患部には、殺菌剤をつけたガーゼをあててこれを毎日とり替えるということをしつつ、原告の安静を保ち、原告の体力の回復、気力の維持を中心に、経過観察しながら治療にあたつた。この間、被告は原告に対し「たいしたけがではない、元どおりに戻るから心配せずに頑張れ。」との旨の言葉をかけ、右腕の状態は原告に見せないようにして、原告の気力を維持させるよう励ました。

(二)  被告の入院後一週間の病状は、前示と同様で生命にも危険な状態であつたが次第に意識がはつきりして来て、一週間経過以後は、流動食、飲物を主として飲食もできるようになり、二週間経過した頃には、負傷した右腕の肘、脇下、両大腿の部分につては焼けただれたところが落ち、その下からきれいな肉が新生しはじめたものの、他方右腕の肘より先の部分には回復の徴候はみられず、むしろ当初微かに動いた手指もこの頃には動かなくなり、更には焼けこげた四本の右手指の根元の部分から壊死が始まり、以降同年一一月二四日後記転院迄の間に次第に壊死部分が拡大し、その組織がくずれてゆき、被告自身は麻薬注射による鎮静を要するほどの激痛が続く状態であつた。このとき、原告の右腕の壊死部分には被告の化膿どめの措置にもかかわらず、腐敗か化膿かは必ずしも明確ではないが細菌感染がみられ、右上腕に蜂窩織炎が引き起され、赤くはれ上がる状態であつた。しかし、その間体温にはほぼ、三七度C台で経過し、ただ昭和四四年一二月一日に三八度五分C、同月一一日に三八度五分Cを示したことがあつたに過ぎなかつた。

2  原告が昭和四四年一二月二四日琴似中央病院へ転院し、同病院で同月三〇日右腕を第二右腕を第二関節の下の部分において切断するという右上腕切断術を受け、右腕の同部分から先を失なつたことについては当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、琴似中央病院に転院した当時原告の右腕は右前腕は運動知覚なく、軟部組織の大部分は壊死となり、一部は膿汁の流失あり、創は汚い状態で、骨の一部が露出していたもので、医学上いずれ切断しなければならないと判定される状態であつた。同病院の担当医死は転院当初原告の右腕をどの部分から切断すべきか判断がつきかねたが、切断手術を行なうまでの間には右上腕は壊死の状態となり、いい組織とわるい組織が分離したのを確認したことが認められ、このことからみれば、切断部位たる生体と壊死部分の境である分界線は転院から一週間の間に確認できる程度に明確な形で形成されたと推認される。

三(電撃傷による壊死の病理等)

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

電撃を受け体中を高圧電流が流れた場合、電流の出入りした皮膚の部分の焼けこげた傷は小さくとも体中を流れた電流が体中奥深く傷害を与え、特に四肢を中心に血管等循環系の機能に不可逆的な損傷を与えていることが多い。このような場合、受傷当初は四肢は外見上電流の出入した小部分以外はきれいな状態であつてもやがて血液の循環を断たれた組織は時間の経過とともに壊死を起こし、組織が死滅して融解する。その壊死を引き起こす範囲は受傷の際客観的にはほぼ定まつており、ただ検査によつてあらかじめ判定するのはほとんど不可能であるだけではあるが、それが時間の経過とともに顕在化するものである。受傷後に壊死を防止すること、又はその範囲を縮小する治療方法は、当時の医学水準においては見い出されておらず、結局は受傷後普通一ないし三週間程度で生体と壊死部分の分界線と呼ばれる境界が形成され、これによつて壊死部分の範囲が確実に判別されるから、その分界線を確認の上、これに沿つて壊死部分を切断除去、又は削ぎとるべきものとされている。

従つて電撃傷に対する治療方法としては一般の熱傷に準じて応急的にシヨツクを和げ、呼吸、心臓機能の確保の処置をしたうえ不測の出血を予防しつつ、体力の回復を図ることが必要であつて、損傷部処置については正確な観察と厳密な保存方法が必要で患部に対し、繃交し患部を清潔に保ち賦活を促すべく微温浴、湿布、分泌物・組織融解物の洗浄等を行ない、細菌汚染防止の為に軟膏療法、抗生物質の投与等をし、痛みに対し鎮痛鎮静剤注射等の処置をとるのが適正とされる。そして、壊死が引き起こされたら分界線の形成を待つて切除する。ただし、壊死が起つたとき分界線の形成を待たずに手術的侵襲を加えることは、大量出血の危険が多いこと、体力的な問題から生命に危険が多く禁忌とされている。

四(被告の債務不履行についての判断)

以上の事実によれば、原告の右腕は、電撃傷による壊死が引き起こされたものであり、当時の医学水準によれば、電撃傷による壊死は、受傷当初からその範囲が客観的に決まつており、その後の治療によつてその範囲を左右することはできず、ただ分界線の形成によつてその範囲が確認し、これを切除するしかないというものであつたから、原告主張にかかる被告の化膿についての判断の誤りの有無及び化膿防止措置の適否は、そもそも、原告が前記のとおり右腕の第二関節の下から先を失なつたこととは因果関係を有しないものである。

また被告が前記診療契約上の債務として原告に対しその病状を説明すべき義務を負つているとはいえるが、その説明は、患者の病状と治療の進み具合を考慮して相当な時期に相当な方法で為せば足りるものと解され、本件のように原告が衰弱して生命の危険があるときや分界線の形成を待ちつつ激痛に耐えて気力をふりしぼつている時期に、その気力喪失につながる危険の大きい事実を説明しなかつたことは、むしろ正当なことであつて債務不履行となるものではない。

五(結論)

よつて、その余の事実につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(磯部喬 田中由子 千徳輝夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例